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自分を振り返る1 ミシガン大学時代

誰でもうつ病になる可能性がある?

うつ病と聞くとどんなことを想像するでしょうか?留学と聞くと?読者の方はそれぞれについていろいろな連想が思い浮かぶでしょう。しかし、留学中にうつ病というのはどうでしょうか?

精神科医にとっては留学中に心を病むという話は比較的よく経験する話です。神戸大学病院や肥前療養所など入院施設をもつ精神科で勤務している時には、年に2,3人日本語が通じない、外国から日本に来たばかりの方を担当することがありました。「精神的に弱っているときには環境の大きな変化は良くない」というのは誰もが信じる一種の常識でしょう。

環境の変化と言ってもいろいろです。異国の地への留学はどうでしょう?言葉はもちろん気候や食事、習慣、何から何までも違います。そして何よりも友人や家族から引き離されます。環境の変化の大きさという点では留学によるものは相当大きくなりそうです。私の場合もそうでした。入った寮は二人部屋で、アナーバーの街の冬の寒さは札幌以上でした。睫毛が凍って開かないというのを生まれて初めて経験しました。大学時代から付き合っていた彼女との別れもありました。

結論から言えば、私は無事に留学を終えて帰国し、神戸大学精神科の研修医になり、それから今まで精神科医の仕事を続けています。2008年1月になごやメンタルクリニックに来てから今までの9年2ヶ月、父の葬儀を除いて一日も休まず働き続けています。昔のことを思い出すときには楽しかったことを思い出します。1年間の留学を終えて日本に戻ったとき、研修医生活のほうがよほどストレスだったとか考えます。当時の看護師長さんから研修医への小言は本当にうるさかったのでした(躾けのつもりだったのでしょう)

日記を通じて自分を振り返る

私は中学生のころから日記をつける習慣があります。私物を整理しているときに、1984年の11月中旬に私が書いていた日記を見つけ出しました。当時はパソコンなどありません。全て手書きです。字が下手なのは今も昔も相変わらずで、しかも自分以外の人が読むとはまったく想定していない日記です。


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Williamsはルームメートです。サン・フランシスコ出身の彼は毎週、親と電話で話していました。日本人と比べると米国人の家族のつながりは薄いと思いこんでいた私には彼の親子関係の濃さは驚きでした。冬休みには両親がミシガン大学まで来てくれると嬉しそうでした。部屋を尋ねてくる彼女もいました。

一方、このときの私にはクリスマスからの2週間、どう過ごすのかのあてがありませんでした。冬休み中は寮は閉鎖になります。日本に帰るお金はありません。親が来るわけもありません。自分には行き場がないと考えるうちに、どうしようもなくなり、朝が起きられなくなり、授業も休みがちになりました。疎外された感じで、さらに足も痒くなってきたのでした。それから2,3日後の日記です。

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大学の中では200円程度で旧作の名画を見ることができました。夜になると少し元気になって部屋を出て、映画を見たり、図書館で本を読んだりしていましたが、それもただ見ているだけでした。
ある授業はDSM-IIIに関するものでした。12月のある日、学生同士でお互いに診断をつけてみました。私を相手してくれた学生が真顔で「お前、専門家に相談したほうがいいよ」と言ってくれたのを覚えています。

電話がかかってきた

12月12日にメリーランド州ベセスダにあるNIH(国立衛生研究所)に研究者として滞在していた神戸大医学部精神科講師の谷本先生から電話がありました。冬休み中にアパートに来ないか、と誘ってくれました。留学前の3ヶ月間、神戸大に研修生として医局に籍をおいていた時にお会いしたのを覚えておられたのです。渡りに船とはこのことでしょう。

谷本先生ご夫妻、就学前の二人のお子さんとクリスマスと新年を過ごし、スミソニアン博物館を見たり、NIHを見学したりしているうちに、私も元気になっていきました。留学後半の日記は前半のものとは別人が書いたもののようです。

いま振り返ると

普通に昔を思い出すだけでは1984年11月に自分がどう考え、どう感じていたかを正しく思い出すことは難しい相談です。授業内容や出来事を思い出すぐらいで、自分が個人的にどう考えていたか、どんな気分だったかはとても思い出せません。辛かったことは?と聞かれたら、宿題の多さだと答えるぐらいでしょう。毎回、本や論文を読んできて、グループでディスカッションすることが授業でした。アメリカ人でもとても全部を読み通すことはできないぐらいの量でした。

こうやって自分の古い日記を取り出して眺めると、11月から12月にかけてうつ病になっていたことがはっきりわかります。なぜうつ病になったのか?単なる怠けなのか?谷本先生がいなかったらどうなっていたのか?自分ではその答えはわかりません。この先、答えが見つかるとも思えません。今の私としては、わからないことは忘れて良いわけではない、日記を証人として自分の過去を忘れないようにしたいと思っています。

これから先

私事ですが、なごやメンタルクリニックでの勤務を2017年12月で終わることにいたしました。これから、しばらく私の日記を題材にしながら、名古屋での10年間も振り返って行こうと思います。私の回想にお付き合いください。

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コメント

鬱の状態、軽く、短くて良かったですね、日記をつけていたのが、outputになってよかったのかも?!これからも期待して読みます。ジンベイ

投稿: 林 茂之 | 2017/03/07 22:05

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