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ガワンデ著「死すべき定め」その2

2016年6月25日に「死すべき定め」が刊行されました。
お陰様でHONZに取り上げられるなど、好評を頂けているようです。
この本ではガワンデのライターとしての腕も光っています。前作のBetter「医師は最善を尽くしているか?」は11の章はバラバラでした。今回は、医師としても息子としても著者が成長していく、一続きのストーリーに全体がなっているように受け取れます。
ガワンデのライティング・スタイルについての感想をまとめたものを書きました。もともとは訳者後書きになる予定だったものです。でも、あまりに私個人の感想が走りすぎていて、没になりました。
本のネタをばらしているところがあります。このブログは本を読んでからお読み下さい。
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模写としての翻訳

Gawandeの本の翻訳を手がけるのはこれで2冊目である。今度は,自分の日本語の文章が洗われるような気持ちがした。画家の修業に例えれば,自分があこがれる画家による名画を,模写するのと良く似ている。美術における模写とは他者の作品を忠実に再現し、あるいはその作風を写し取ることでその作者の意図を体感・理解する為の手段である。ただ単にその作品をそっくりに複製するすなわちコピーをとるのは「転写」であり、「模写」ではない。日本画でも,古くから修行や絵画の精神性や様式、技法の伝達などを目的に模写が行われている。

私の場合は,翻訳で模写をしている感じだ。もし私が芥川賞を受賞した小説を模写するのであれば,私はそれには魅力を感じない。私は小説家になるつもりはないからだ。Gawandeの記述はあくまで医者の視点からの記述である。

P28
”今日は,どうされたんですか?”その朝,一番の患者であるジーン・ガブリルに医師が尋ねる。彼女は85歳,縮れた短い白髪で,楕円形の眼鏡をかけ,ラベンダー色のニットシャツを羽織り,目が会うと優しい笑みがさっと浮かんだ。小柄だが体格がしっかりしており,診察室には自分から安定した歩き方で入り,片側の脇には財布と上着が挟まれていた。娘は後からついてきていて,藤色の矯正靴の他には支えは不要だった。彼女はかかりつけの内科医が受診を勧めたから,と答えた。

コンパクトで明快な初診時現症の記載である。私はこれを書いて震えた。私は新患の患者を毎日3名は診ている精神科医である。だが,患者の様子をこれだけ具体的にかつコンパクトにまとめることが私にできているだろうか?恩師の山上敏子先生は「患者の様子が動画で見えるように書け」と教えた。そうした初診時現症の書き方の見本がこの本の中にある。患者の様子を書くことは精神科医だけでなく,外科医にとっても必要だし,患者の死が目前に迫っているときには何科であれ,患者の診断がなんであれ,その人を患者としてではなく人として理解し,記載することが必要だろう。

翻訳の副作用

翻訳作業には副作用もあった。つぎつぎ人が虚弱(フレイル)になり,亡くなっていく。自分もそうなる気がする。Gawande自身が自分の感情を出すことはほとんどないが―P217 腫瘍医に猛烈に怒りを覚えた,ぐらいしかない―書き方,事実の並べ方には読者の心を揺さぶるものがある。書き手が「大変だと思え」「同情しろ」というメッセージを一切出さないから,余計に読者は自分で感じなくてはならない。

私は医者として人の死を自分自身の手の下でも何度も経験している。それでも自分が虚弱(フレイル)になるとか,死ぬとかを考えることはなかった。老衰や死はあくまで患者のことであり,自分のことではなかった。今回は違う。この1年間の翻訳で,10年は歳を取った気がする。

P25
目はまた別の理由でやられていく。蛋白が結晶化した水晶体は高い耐久性を持つが,時間が経つにつれて化学的に変化し,柔軟性を失う。それが40代に大半の人が起こす老眼につながる。同様に色が黄変する。白内障(加齢や紫外線への過度な暴露,高コレステロール血症,糖尿病,喫煙などによって水晶体に起こる白っぽい濁り)が起きなくても,網膜に到達する光の量は,健康な60歳でも,20歳の場合の3分の1になる。

2015年の夏にここを訳してから,自分の目の老化をはっきり自覚した。35年間のコンタクトレンズ生活と別れて,二重焦点眼鏡に変えた。レストランのメニューの細かな字が読めなくて適当に注文するなんてことをしなくてすむようになった。親が老いを自覚していなくて困っている人がいるだろう。親の頑固さには自覚しろと説得しても勝てない。淡々とした事実の積み重ねの方が効きそうだ。

査読への影響

日本認知・行動療法学会の学会誌「行動療法研究」の査読にも影響があった。2015年に投稿された44本の論文のうち実践研究は22本,私が担当したものは4本だった-Gawandeはこうした数字を正確に書く。実践研究は症例報告が中心であり,初診時現症はその生命である。投稿者へのコメントとして症例の書き方を例示するのだが,その時にこの本の一節を紹介するようになった。高齢者や終末期を扱うような行動療法家は日本ではほとんどいない。“85歳,縮れた短い白髪で,楕円形の眼鏡をかけ,ラベンダー色のニットシャツを羽織り,目が会うと優しい笑みがさっと浮かんだ”を例示として読まされた投稿者は驚いただろう。

日々の診療

副作用は私が日々診療している患者さんにも及んだ。どのように死にたいかを尋ねるようになった。改めて考えるとおかしなことだが,心臓発作を恐れるパニック障害患者やAIDSを恐れる不潔恐怖患者,交通事故の加害者になることを恐れる加害恐怖患者,癌恐怖の心気症患者が毎日何十人とやって来るのに,老人ホームに入って身体拘束され,向精神薬で過鎮静になることを恐れる患者は一人もいない。肺がん治療で妻を無駄に苦しめたことを悔やむリッチのような人もいない。そして何よりも,医師である私自身が,ベッドに抑制され,鼻腔には栄養チューブ,そして多剤大量処方によってもうろうとなった患者を研修医の時から何度も見ているのに,それを自分の将来に重ねることがなかった。今あらためて思うと,そのことを30年間,一度も不思議に思わなかったことが不思議だ。目の前の患者に対する共感がなかったからだと言われても仕方ない。私たちは毎日,網膜に映っているものでも,そこに注目を向けなければ見てなかったことにしてしまう。この本は見えていなかった苦悩を見させてくれる。

事実とストーリー

Gawandeの本の特徴は医師としてではなく、ノンフィクション・ライターとして書いているところである。だから、実名で登場してくる人たち全員が本物である。亡くなった人たちももちろんそうだ。米国の面白いところは、人が亡くなるとその情報をネットで公開することである。名(英語)とObituaryで検索してみてほしい。死者への追悼の言葉がネットに上がっていて,ゲストブックがあり,来訪者が言葉を残せるシステムになっている。ネットの時代,日本の葬儀の仕方もアメリカのようになれば良いと思う方は多いだろう。

私が調べて分かった範囲内で主な追悼の辞(Obituary)へのリンクをしめす。

アトマラム・ガワンデ


ペグ・バシェルダー

サラ モノポリ

ジュウェル・ダグラス

面白いことがわかる。本だけ読んでいるとGawandeの父親が一番最後に亡くなったように思うだろう。本のページ順に登場人物が死ぬのが読者にとっての常識である。しかし,調べてみるとAtmaram Gawandeは2011年8月10日に亡くなっている。ガワンデの娘のハンターのピアノ教師,ペグは2012年6月12日である。退場順と違う。もし、人が亡くなった順番に忠実に合わせてストーリーを運ばなければならないとしたら、エピローグでのガンジス川での散骨のシーンの後に、ペグのファイナル・コンサートが来ることになる。こんなストーリー展開ではちょっとまずい。カーネマンのピーク・エンドの法則から言っても、一番最後に感動的なシーンが来たほうが記憶に強く残る。

ちなみにサラ・モノポリは2008年2月24日に亡くなっている。サラが亡くなったから3年の間にガワンデが死への対応の仕方を大きく変えたことがわかる。Gawandeの父の首に腫瘍が見つかったのは2006年の春である。手術は2010年6月だ。人が死ぬ順番は誰にも決められず、予測もできない。もし、サラより先にGawandeの父が亡くなっていたとしたら、Gawandeはこの本を出せなかったかもしれないと考えずにはおれない。

予期せざるさまざまな偶然が重なることが人の経験になる。それは本にもなる。私の翻訳もそうだ。精神科医・行動療法家である私がGawandeの本を2冊も翻訳すること自体が予想もつかないことである。そしてこの本の出版自体が予期せざるつながりを私に与えてくれそうだ。

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コメント

原井先生、

少しご無沙汰致しました。
「死すべき定め」、各所で静かに取り上げられ始めているような気がします。我がことのように嬉しく思っています。

私はといえば、原書は再読(再聴)しましたが、翻訳書の方は(購入したんですけど)、忙しくてまだ手に取れておりません。
(スイマセン)
「医師は最善を尽くしているか」もまだです。
(スイマセン)

私は、多くのヒトは、身近な経験を経て始めてそれまでと異なる目でものごとを見ることができるようになるのではないかと思います。もちろん、そうではない方もおられるのでしょうけど、そういう方は少数派ではないかと。

私はすでに両親を送ったのですが、寝たきりになった老人があっという間に胃瘻になる姿や、かくしゃくとした本好きの老人が、本能のままに手掴みでものを食べようとする姿などを目の当たりにして、はじめて、それでも生きる意味や自身の(老いて死ぬという意味での)将来を考えました。
身近な人間の死に真正面から向き合ってはじめて、普通の人間は、生と死を我がこととして考えるのかもしれません。

それより前に本書を手に取っていたら、おそらく、こんなに心に刺さることはなかったでしょう。
人との出会いもそうですが、本にも読みどきというのがあって、本書はまさにそのようなときに出会った本だなあと思います。

そうそう、
>恩師の山上敏子先生は「患者の様子が動画で見えるように書け」と教えた

という部分を拝読して、私が尊敬する同業の大先輩の「原書を読んで頭の中に絵を描け、そして同じ絵が描ける訳文をつくれ」という言葉が浮かびました。

思いつくまま脈絡のないコメントになってしまいました。読み捨ててくださいませ。
(わざわざメールさせて頂くまでもない内容かなと思いまして、コメントにさせて頂きました)

投稿: Sayo | 2016/08/16 16:41

Sayoさま
ボツ版訳者後書きにも目を止めていただけてありがたいです。翻訳書も買っていただけて嬉しいです。翻訳者としてのご感想も待っています。

>「死すべき定め」、各所で静かに取り上げられ始めているような気がします。

中野徹さんによるレビューが載りました。
http://honz.jp/articles/-/43184

アマゾンでは医学・社会病理の分野でベストセラーになっています。でも,1位になるたびに品切れになります。みすず書房さんは売れることに不慣れなようです。次の増刷は8月29日にできます。

投稿: 原井 | 2016/08/16 18:24

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