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規格外な夫婦~強迫性障害の患者さんの奥さんがコミックエッセイを出版しました

強迫性障害は不潔恐怖だけではない

私は強迫性障害の治療が専門です。このことは私のホームページやOCDの会での講演会、テレビ番組、「図解やさしくわかる強迫性障害」などの一般向け著書である程度知られています。年間に300人程度の強迫性障害の方が新患として受診されます。名古屋市内の方は1/3程度で、他は関東や東北、関西、九州などほぼ日本全国からこられています。受診のきっかけは、おおよそ1/3の方が私の著書を読んで、1/3がネットで検索して、残りがテレビ番組を見てからや、現在受診中のクリニックの医師から紹介されたから、などです。職場など周りの知り合いに勧められてという方はまだ少ないのです。特に不潔恐怖以外の強迫についての知識の普及はまだまだです。

なぜ強迫性障害の知名度は低いのでしょうか?自分や他人を殺傷したり、薬物を乱用したりするような世間を賑わす社会的関心事の原因にならないからかもしれません。強迫性障害の患者さんは家の中ではひどい症状を出しますが、職場など外では隠すことができるからかもしれません。テレビが取り上げるときでも不潔恐怖・手洗い強迫ばかりで、それ以外の強迫の症状は避けられてしまいます。

取材に来たテレビ局のディレクターにもなぜ?と尋ねたことがあります。「確認はじっとしているだけなので、視聴者が飽きてチャンネルを変えてしまう。視聴者が釘付けになり、視聴率を上げられるのはやっぱり手洗いシーンです」という答えでした。なるほどです。何かにこだわって全てを忘れて集中している時間が数時間になった状態や、心の中でする強迫行為が煩わしく、寝込んでしまう「寝逃げ」は日常生活を著しく妨げます。でも、じっと考えているだけ、寝ているだけのテレビ映像を見せられたら、普通の視聴者はすぐに飽きてチャンネルを変えるでしょう。出口や家の中でじっと石のように固まる患者と向き合わなければならない家族はその苦痛を他人に分かってもらう手段がなかなかないのでした。

なごやメンタルクリニックに来られる患者さんに限れば、こだわりや“心の中の儀式”などの強迫症状を持つ患者さんは不潔恐怖の方よりも多いのです。でも、この情報は世間に広まらず、いつも残念に思っていました。

患者さんの奥さんが書いた漫画ブログが本になる

そんなことを思っていたとき、2015年の末、今までは違う、まったく新しい形でこの情報が広まることになりました。排泄物などの汚れは気にしないけれど、中途半端さ・不完全さは気になり、自分がすることは何でも完璧にしたいという不完全恐怖と言うべき男性患者さんです。その奥さんがご主人の症状と治療経過を一家の生活を交えながら4コマ漫画で書いたブログが、出版社の目にとまり、書籍化されました。出版社の宝島社のサイトから;

“強迫性障害”を患いながらも社会人として奮闘する夫と、子どもが1歳の頃に育児ノイローゼから“うつ病”になってしまった妻。そんな2人の日常と子育ての様子がユーモラスなイラストで描かれます。とてもつらく苦しい状況のはずなのに、前向きに頑張る2人の姿から、自然と笑顔と勇気をもらえる一冊です。
本の制作に、私も一部かかわらせていただきました。強迫性障害は逆説的な病気です。きちんとやろう、正しくありたいという意図としては全く正しい行為が結果として大迷惑な行動になります。普通の人はしない、やりたくないと思うようなことを敢えて前向きに行う逆説志向が効果的で、それを系統的にまとめたプログラムがエクスポージャーと儀式妨害(ERP)と呼ばれる行動療法の一技法です。本の主人公である“まことくん”の場合、愛する家族を守りたい・業務に忠誠を尽くしたいという真心が、妻子を泣かせたり、休職したりすることに繋がるのでした。そして、まことくんに与えられたERPの課題が、あえて嫌なことを考え・行い、日常動作を中途半端にすることでした。

主治医として

この本はとてもありがたいです。テレビ放送には絶対にならないような、文章でも説明困難な強迫症状が漫画の形でわかりやすく表現されています。診察室では患者さんが出すことがないために医師が直接把握することができない、一つ屋根の下で生活する人にしか分からないような症状が家族の困惑も含めて文字通り絵になって表現されています。困っていることを人にどう伝えて良いか分からず、立ち止まったままになっている患者さん、置き去りにしてしまっている家族にとっての福音になるはずです。

そして、行動療法家の目で見ると著者の“たまこさん”のすることが理に適っていることに気づかされます。ブログのページにこう書いてあります。

このブログを通じて、同じような境遇の方と交流をはかったり気持ちを共有したりすることが出来ればと考えています ですが!! 基本はゲラゲラ笑って病気を面白がる方向で!! 強迫性障害の人ってとっても個性的で面白いんです
チャプリンの名言に“人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。”があります。そして、50年前、行動療法が始まったとき、不安に対する対処法として勧めていたものの一つが“笑うこと”なのでした。そして強迫性障害の患者さんがする逆説的行動は距離を取ってみれば笑えることです。本の後半は、たまこさん自身が親の影響や自分のうつ病をどう乗り越えてきたが描かれています。笑うことが病気の治療につながることはこの中で会得されてきたことのようです。

病気を公開し、本を出すこと

でも、世の中、病気を面白がる人ばかりではありません。病気や家族の苦しみをネタにして本で稼ぐ気かと思う方もあるでしょう。本の中には子供たちも登場します。子供たちの将来に影響するのではないかと心配する方もあるでしょう。

1990年代、ロサンジェルスに住むゲイ男性(HIV陰性)についてUCLAの免疫学者S・コールが面白い研究を行いました。ゲイであることを周りに公表している男性と完全に隠している男性の間で、風邪や肺炎などさまざまな感染症の頻度を比べると1:4になるのでした。自分が病気などの悩みを隠しているということは、周りに対して壁を作ることになります。周りを敵に囲まれているような気持ちでいることが、体のストレス反応を高めることになり、結果として免疫機能の低下に繋がるというのがコールの結論でした。この研究が精神障害の患者やその家族に当てはまるかどうかはわかりませんが、隠すことがストレスになるのは本当でしょう。隠し事があれば、笑いも消えてしまいます。

もちろん本を出すとなると周りへの公表以上の結果が生じることがあります。ベストセラーになるかもしれません。本を出したことを後悔する日が来るのかもしれません。そのとき、ブログだけなら閉じれば忘れ去られますが、本は絶版になってもどこかの図書館に残り続けます。将来がどうなるか、こればかりは誰にもわからないことです。

でも、いくつか、私にもはっきり分かることがあります。本は残ります。私は最初の本を出したとき、書籍店の書棚に置かれたその本の前で記念写真をとりました。そして父が亡くなったときに棺の中に私の本を入れることができました。形のあるものとして自分の作品を世の中に出せたことは何かのタイミングで人生を振りかえったとき、生きてきた証のようなものになるはずです。そして、この本が不潔恐怖以外の強迫性障害についての一般の知識を深めるのに役立つのは確かです。

一度手に取って読んで頂くことをおすすめします。原井の似顔絵も出てきます。

文献
1. 龍たまこ. 宝島社; 2016規格外な夫婦 ~強迫症夫と元うつ病妻の非日常な日常~"> 
2. Cole SW et.al 1996. Elevated physical health risk among gay men who conceal their homosexual identity. Health Psychol. 15(4):243-51.
3. ブログ 規格外な夫~セロトニンが、足りません~

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