遊ぶ
人とは何か?
自我が芽生える思春期以降に,たいていの人がこんな疑問をもったことがあるでしょう。「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」ゴーギャンはこんなタイトルの絵を描いた後,自殺を図ります(未遂に終わりました)。哲学者や宗教者はかならずと言って良いほどこの話題を取り上げます。人間性心理学のマズローや個人心理学のアドラーのように答えはこうだ!と教えてくれている学者もいます。
中には,こんな風に答えた人も。
人間は,言葉の十分な意味において人間であるときにのみ,遊ぶ。また,人間は,遊ぶときのみ,完全に人間なのだ。(フリードリッヒ・シラー,「人間の美的教育について」)人とは何かを四角四面に考えることが問題なのかもしれません。人の本質は真面目さではない,遊びだ!と言い出した人がいます。オランダの歴史学者,ヨハン・ホイジンガです。彼は「ホモ・ルーデンス」“遊ぶ人”というタイトルの本を出し,その主張は,遊びによって全ての人間行動が説明できるとする「遊び一元論」です。遊びとは,あるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為や活動です。それは本人が自発的に受け入れた規則に従っていて,その規則はいったん受け入れられた以上は、絶対的拘束力をもっています。遊びの目的は行為そのもののなかにあり,何かの他の目的を達成するための手段ではありません。遊びには緊張と歓びの感情を伴っていて,「日常生活」とは「別のもの」として意識されています。あなたは最近,遊んでいますか?
言葉でも遊べる
子どもは遊びが仕事です。言葉を覚えたばかりの子どもは「マンマ」など最初は要求を伝えるために言葉を使いますが,そのうちに言葉で遊びはじめます。2歳ぐらいの子どもに「これは,ウンコよ」と教えたら,まったく無関係の場所で「ウンコ」「ウンコ」と言い出すようになり,親や周りが当惑するような場面を経験した方は多いでしょう。周りが困った顔をするのが面白くて,子どもが覚えたばかりの言葉を使って大人を振り回します。
ロシアの子どもたちはこんな歌をうたって遊ぶそうです。
カエルがお空を飛んでった
サカナが漁師のお膝に座ってた
ネズミが猫を捕まえて
ネズミトリの中に閉じ込めた
オクシモロン
こうした遊びにもレッキとした名前があります。「カエルがお空を飛んでった」のように明らかに矛盾する言葉を組み合わせることを撞着語法,オクシモロンと呼びます。
盲(めし)いた山猫,目隠しした百眼(アル)巨人(ゴス)
乳を吸う老人と,年老いた幼児
教養ある文盲,甲冑を鎧(よろ)う裸人
無言の話し手,富める乞食幸福な迷夢,望んだ苦痛
思い遣りのある友の恐ろしい傷
武人の平和と嵐すさぶ不安
かかるものを心に感じつつも,魂は理解しないわざと演じた物狂い,愉快な悪意
(ホッケ 『迷宮としての世界』
他の言葉遊び
有名なものには回文があります,「新聞紙」「竹藪焼けた」のように上から読んでも下から読んでも同じ言葉になるものです。
保安院全員アホ
神主も死ぬんか?
セクハラは癖
根暗は楽ね
禁煙延期
回文を作るコツがあります。最初に,思いついた単語をとりあえずひっくり返してみましょう。たとえば「新幹線」をひっくりかえすと,「んせんかんし」。これに一つ文字を加えてみて意味のある単語になるかどうか考えてみます。あいうえお・・,えを加えると「沿線監視」になります。「新幹線沿線監視」とできあがりです。「トマト」のように単語一つで回文になっているものを見つけて,それらを組み合わせるという手もあります。ぜひトライしてみてください。
洒落言葉
部下の仕事ぶりに一言,言いたいとき,直接的に言うと角がたつことがあるでしょう。言い方に工夫し,ユーモアで包みながら注意できれば雰囲気を保ちながら目的を達成できるはずです。和を重んじる日本では,昔からそんな言い方を作ってきました。
「雪隠の火事」 「やけくそ」を意味します。雪隠は昔の言い方でトイレのこと。昔のことですからくみ取り式です。トイレが火事になれば糞が焼けるから,すなわち自棄糞(やけくそ)
「うどん屋の釜」 「言うばっかり」を意味します。うどん屋の釜は常に煮立っていています。「湯ばっかり」なので「言うばっかり」。実際の行動が伴わない大言壮語のことを意味する洒落言葉には他にも「大晦日の髪結」「乞食のお粥」「風呂屋の釜」などがあります。
「百足の支度」 「手間がかかる」足が100本ある百足が外出する準備をしたら靴をはくだけでも相当時間がかかります。つまり手間取る。新潟の昔話に元をとったようです。
漢字遊び
漢字の書き間違いも遊びにできます。他の人が気づかないようにしてみるわけです。
つぎの単語はどうでしょうか?
週間紙の買売
事時門題の解設
鈥火丼
おかしいところにすぐ気がついたでしょうか?
弁慶読み,句読法
「弁慶が、なぎなたを持って」と読むべきところを「弁慶がな、ぎなたを持って」のよういに区切りを変えるものです。「カネオクレタノム」の区切りを変えるとどうでしょう?同じ文をまったく違う意味に取ることができます。答えは文末に。
文章の順番を変えて遊ぶ
次の文章を読んでみてください。どちらの女性が真面目な人にみえるでしょうか?
1. 家庭に恵まれなかったキャバ嬢が,昼は大学で真面目に学んでいます。
2. 昼は真面目な女子大生が,夜はキャバで働き,それを家庭に恵まれないせいにしています。
どちらも書いてあることは同じ事なのですが,受け止め方が違います。
娘の変顔
17年前,「幼稚園で覚えたの,この顔,写真に撮って!」と言われたときにとった写真です。顔をつくるまでの過程が面白く,見るたびに私も笑っていました。他人にも見せたくなり,当時の私の個人ホームページにアップしたほどです。でも,知り合いから,「お子さんの個人情報を外に公開しないほうがいいわよ,何があるかわからないから」と心配してくれる人がいて,削除してしまいました。
今は,この子も大学生,公開したところで,この顔から今の彼女を結びつけられる人はいません。本人のOKもとれたので古い写真をまた出してきました。いま,見なおしても,やっぱり何の意味も無い,役に立たない変顔です。だからこそ楽しいし,面白い。この子がいてよかった,私も生きていて良かったと思えます。
この子が変顔で遊んでいた時期,私自身,楽しいことばかりではありませんでした。仕事や家族のことなどいろいろありました。それでもこうやって変顔を見ると楽しい思い出もあったなと思い出すことができます。
人生に何か目的を持って日々を無駄なく過ごすことも必要なことでしょう。でも,後から振りかえると,何の役に立たない暇つぶしにしかならない遊びこそが生きる意味を与えてくれるようにも思えます。
答え
「金送れ,頼む」と「金をくれた,飲む」
参考文献
高橋康也. 言語遊戯. 東京: 日本ブリタニカ; 1979.
まさに何様, 闇から神谷. さかさ言葉「回文」のすべて. 東京: カットシステム; 1998.
相羽秋夫. しゃれことば事典. 大阪市: 東方出版; 2014.
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