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書評 Atul GawandeのBetter

この本は今年1年間で読んだ本の中で最も印象の残る本である。Gawandeは精神科医でも精神療法家でもない。写真はgawande.comで見ることができる。内分泌系を専門とするインド系米国人の外科医である。エッセイストとしての知名度の方が高いだろう。ニューヨーカー2009年6月号に書いた“The cost conundrum”は今年の米国雑誌賞を受賞している。私はこの記事からGawandeのことを知った。時折,聞いているScientific AmericanのPodcastの中で紹介されていたのである。経済的に似通った2つの米国のある地域で1人あたりのメディケア医療費が二倍の差がある。その背景には医師の医療行動のパターンの違いがあった。Gawandeは病院経営者に直接会いに行き,話を聞く。外野からは患者を検査漬けにしているような経営者もそれなりの理由がある。記事の中には,どこにも“金儲け主義!”と批判するようなニュアンスはない。1人1人の医師の医療上の工夫とちょっとした欲が医療費を2倍にさせていること具体的に語っている。説得力があるのに,淡々としている。私は医療経済学に以前から興味があり,関係した論文もいくつか書いている。Gawandeの視点は私と似ていた。誰か1人の貪欲ではなく,医学の進歩と善意,そして大勢の小さな私欲が医療費の高騰を招くのだ。さらに読みたくなり,Betterを買った。

勤勉・正しく行う・工夫

Betterは医学におけるパーフォーマンスについての本である。精神医学・精神療法にとって大切なことは診断や病理,技法,あるいは共感であると思っている人があるだろう。Gawandeはこうしたものは二の次だとする。医師は専門家としての結果を出さなければならない。一番大切なことは組織やシステム,金や時間,状況や人々,そして我々自身の短所に取り組むことである。日本の自動車生産方式で言う“改善”を大切にしなければならない。Gawandeはそのためには“勤勉”,“正しく行う”,“工夫”が必要だという。そして本の3部構成のタイトルもこの3つである。

第一部「勤勉」は手術前の手洗いのことから始まる。次のMop-up(掃討)はインドにおけるポリオ(小児麻痺)ワクチンの配布の具体的な作業の様子を語る。1人でも未接種者がいるならば,ポリオは撲滅できない。そして,ワクチン接種を嫌がる親子は1人ならずいる。感染者が出るたびに地域の医療関係者が周辺地域全体にワクチンを接種していく様子が具体的に描かれている。その次は戦争における負傷兵の治療である。第二次大戦では30%が死んだ。朝鮮戦争では25%,ベトナム戦争では10%,イラク戦争では3%にまで下げてきている。朝鮮戦争後に医療技術の大きな変化はない。薬も手術手技,軍医の数も基本的に変わらない。限られた資源と時間,そして戦場状況でパフォーマンスを上げるための様々な工夫が変わった。1人1人の患者・医療者が細部の行動を変え,それが移送時間の短縮化・応急処置の工夫につながり,死亡率減少につながっている。

第二部は男性医師が女性患者を診察するときの問題と医療過誤訴訟,医師の給与,死刑に対する医師の関わりを取り上げる。中にでてくる主人公は小児整形外科医から医療過誤訴訟専門の弁護士に転じた人物である。実際の裁判場面のやりとりも取り上げる。読者が医師であれば,まるで自分が被告になったかのような気持ちになるだろう。その次は死刑執行に協力する医師の話である。司法処置は“正しく”行わなければならない。正しく“死刑”を行うためには医師が必要である。医師が“死”を宣告しなければ,人は死んだことにはならないからだ。ならば,医師が死刑執行人になれば最も正しく“死刑”が行えるはずである。では,これは医師の行うべき正しい行為だろうか?

Gawandeは正しい答えができない領域を避けずに取り上げる。医師は何が正しいのかが曖昧な状況で正しく行わなければならないからだ。

第三部は,アプガースコアの話から始まる。昔,出産は女性の死因の主要なものであった。1930年代は150人の妊婦のうち1人が死んでいた。1950年代には1000人のうち2人程度になった。死ぬのは新生児も同じである。1950年頃は30人の新生児のうち1人が周産期に死亡した。産科学は新生児には手が及んでいなかった。それを変えたのがアプガースコアである。出生後1分,5分後に10点満点で新生児の状態を評価する。1953年に麻酔科医であるVirgnia Apgarが発表した。アプガースコアが新生児死亡率と高い相関を示す研究が続いた。世界中の産科に普及し,アプガースコアを上げることが産科医・小児科医の目標になった。この結果は周産期死亡率の低下につながった。日本を取り上げれば,1975年には出生10万あたり16人であった。85年には8人,05年には3.3人に低下した。

この間,新しいエビデンスが産科医学の中で生まれたわけではない。産科医はエビデンスベースとほど遠い。産科は他の科と比べると,ランダム化比較試験(RCT)が少なく,産科医はRCTの結果を無視する。しかし,アプガースコアと産科医の努力ははっきり目に見えるパフォーマンスの改善をもたらした。一方,それには裏側もある。帝王切開の増加である。

Gawandeはあるベテラン産科医の話を取り上げる。1960年代,彼が帝王切開するのは全分娩の5%以下だった。鉗子分娩が40%以上だった。彼にとっては鉗子分娩も帝王切開と同様に難産に対する安全で確実な分娩法である。そして母体にとっては経腟分娩の方が回復が早く,その後の出産に対する影響も良い。しかし,鉗子分娩は技術習得が難しい。10本程度はある鉗子を母体の骨盤と胎児の頭部に合わせて選択しなければならない。挿入の方向,力の選択は全て術者の手に伝わる感覚だけが頼りである。感覚の鋭い医師なら2,3年で習得できるが,鈍い医師は何年経っても習得できず,胎児の頭部と皮膚を傷つける。誰でも失敗なしを目指すには,鉗子分娩は危険すぎる。帝王切開なら問題がない。誰でも習得でき,チームを組んで標準的なクリニカルパスを作れる。手術室とスタッフの都合に合わせて計画的に帝王切開を行えれば理想的である。術者の技術レベルや母胎の状況・母親の希望の影響を最小にできる。

ここでGawandeは読者に問う。「医学は個人技が重視される職人芸だろうか?それとも規格が重視される工業だろうか?」 ここにも正しい答えはない。アプガースコアは確かに周産期死亡を減らした。アプガースコアを各施設で比較することで,どの施設が,どの産科医が悪いか分かるようになったのである。その結果,術者の技量に左右される鉗子分娩は消え,誰でもできる帝王切開が増えた。では,母親は計画的帝王切開による出産で満足できるのだろうか?医師も?

次は正規分布“ベルカーブ”が見出しである。嚢胞性線維症(Cystic Fibrosis,CF)の治療を取り上げる。白人に多い遺伝性疾患である。現在の平均寿命は30代である。では,どこの病院でもどの医師でも同じ平均寿命だろうか。そんなことはない。学校の成績が正規分布するのと同じように,嚢胞性線維症の治療成績も正規分布する。GawandeはWarwickとMatthewsという医師を取り上げる。Warwickは米国全土のCF治療センターにおける平均寿命データを収集し発表した。Matthewsはその中で飛び抜けていた。Matthewsは彼の患者の平均寿命を尋ねられた時,「それは分からない。だって,ほとんどの患者は私の葬式に来るだろうから」,と答える。彼の病院で治療されたCFの子どもたちは常にどこの施設よりも長生きである。その手法は他のCF治療センターにも伝えられ,伝えられた施設では治療成績は向上し,米国全土で毎年平均寿命が延びる。それでもMatthewsの病院は常に上まわる。現在,彼の施設での平均寿命は50歳近い。Matthewsはベルカーブにおけるプラスへの逸脱である。

最後はどうすれば,Matthewsのようになれるか?についてGawandeが語り始める。

精神療法家として

私は精神科医であり行動療法家である。「精神医学・行動療法は個人技が重視される職人芸だろうか?それとも規格が重視される工業だろうか?」と聞かれたら,私は両方だと応えるだろう。診断・症状測定法と行動療法を教える教師としては規格を重視しなければならない。患者1人1人を見る臨床家としては個人技を重視する。強迫性障害を治療する専門家としては薬物療法なしでY-BOCSが8点以下,すなわち寛解に到達する患者を増やし,そうなるまでの期間を短縮することが目標である。20年前は1割以下で半年以上かかっていた。今は3割以上で,2ヶ月である。

文章家として

一度,彼の英語を読んでみて欲しい。事実を淡々と飾ることなく語る。読みやすい。タイトル・章立てが良い。いつも短く,一言で対象を捉える。この本のタイトルは一語“Better”である。ちなみに,彼の1冊目の本のタイトルも一語“Complications”である。
何が彼の文章をユニークにさせているのか,知りたくなり,調べてみた。273ページの本の中で“very”が形容詞を修飾する副詞として使われている回数を調べてみた。5回あった。全て,他人の発言の引用である。比較のために,今,私が翻訳を依頼されている全般性不安障害に対する薬物療法に関する章と比べてみよう。9ページの章の中で“very”は6回出てきて,全てが“very wrong”のように他の形容詞を強調している。“Significant”は273ページの本の中で5回,9ページの章の中で6回である。

もし私が,Betterを“大変有意義な本である”と形容したとしたら,私はGawandeの文章の良さを全く分かっていないことになる。

研究者・編集委員として

Gawandeの示唆は研究論文を書こうとする人にも役立つ。
1)筋書きのない質問をしなさい;今まで誰もしたことがない疑問を持つように,
2)不満を漏らすな;研究・論文が思うように行かない理由は誰でも10個は持っているが表に出すな,
3)何でも良いから数えなさい;今日かかってきた患者さんの電話の長さだけでも取り続ければデータになる,
4)何でも良いから書きなさい;ブログでもメールでも良い,考えを書いて人に見せなければ始まらない,
5)変えなさい;人の後追いするのではなく自分から変わっていきなさい。

私は行動療法学会の機関誌の編集委員をしている。投稿論文の中には,英米では分かっているが,日本では分かっていないから研究した,方法は先行研究と同じ,という論文をよく見かける。結論だけ少し変える。決して,先行研究の基礎そのものを疑うことはない。最後に日本独特の事情があることを見いだした,これは初めての所見だ,とまとめてあるような論文である。世界でまだ誰もしていないような疑問からスタートした論文や世界の誰もが信じている常識を覆すような論文を読んでみたいと思っている。

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コメント

幸か不幸か既に、Dr.HARAIブログ・コメント入り口をせっせと見つけてしまってます。 今回の分野も全くの素人ですし 拙いですが、一筆とらせてください 。。
取りあえず 一連の写真を拝見してみると☆・・ Gawande のイメージが よりアップし(WILD !)驚きました どうやら「天はニ物を与えた」例と、この「紹介文」や「医療現場」の深刻な内容からは、、決して想像だにできなかったから。

① 内容面で 最も印象深かったのは、「医師は何が正しいのかが曖昧な状況で『正しく』行わなければ・・」という厳しい現実です。
医師が死刑執行人になる・・このEpisode にも心をうたれました。

ここで「正しい」とは何ぞや?と改めて考えさせられました。 善悪、是非に対して“白黒”はっきりさせる・・という重責を担っている立場で、私達が想像してる以上に 大変なことなのですね。。 色々な点で患者の生命に関わることなら、尚更でありましょう。

②「精神医学・行動療法は個人技が重視される職人芸か?それとも規格が重視される工業か?」――― 少なくとも治療を受ける側(私)の見解としましては、「個人技」に期待したいところでしょうか。
(もの好きな私、無知ながら)First Impression で先生の「究極の選択」を当てようとしました。→→
結果、ものの見事にハズレました・・!
先生なら専ら「個人技」とおっしゃるだろう、と一瞬 予想, 推測したので。。 

どのみち、現場に携わっておられる医師vs.患者の間では また立場,見方も 異なってまいりますよね。

③ 彼の英語・文章スタイルについて。
私個人的な見解ですが、significant もさることながら、書物で very の頻度自体は 非常に少ない気がします。 確かに原井先生の very の登場回数の方が分かります。 自分も過去に,N.Chomsky 派の気難しい指導教授のもとで、統語論・意味論とかいう・・訳のわからん英語学(Tree づくめの文法論)のreportを書いた折、それ位の頻度だったと思うので。 
では彼の文章で, very が副詞を修飾する例は全くないのか? 代わりに quite 等は使われているのか?については, どうでしょうか。
暇があれば またチェックしてみようと思います。

投稿: ダル・隈・小松っちゃん | 2010/06/23 16:54

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